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持続可能性へのヒント(4月の短信より)

 桜はあっという間に散りましたが、入れ違いに満開になった田んぼ一面のレンゲが春の青空に映えています。母屋のみんなも元気だし、4月もひろんた村はお客さんが続いて賑やか。また、豚の出所である味菜自然村が筍を送ってくれて、筍ざんまいの週もありました。折よく畑の山椒の葉もわんさか茂り、しばし春の味わいに酔いしれました。ひろんたの竹林は猪が食べ尽くして久しいのですが、筍おいしさに竹林再生計画も囁かれています。

 さて先月のお約束どおり、今回は3月にやってきた学生さん、葉音(はのい)ちゃんに寄稿いただきました。明るくまっすぐな彼女は全てに興味を持って関わり、母屋にも爽やかな風を吹き込んでくれました。こんな若い人がいると思うと少し希望が持てるものですね。(歌野杳)


【ひろんたで見えたもの】

こんにちは。長野の大学生、高砂葉音と申します。私が今回ひろんた村にお邪魔させていただいた理由は、主に二つありました。一つ目は、教育学部生として普段子どもたちと接

する中で、無理に大人になろうとする子が多いのに対し、何かに関心を持つこと、自分に

自信を持つ子が少ないことを感じ、地域のつながり、特に高齢者の方との交流や自然との

ふれあい、自給自足による体験が生かせるのではないかと感じたことです。二つ目は、持

続可能性や環境問題がいま世界で指摘されている中、簡単に物を捨て、流行や物欲に流さ

れて新しいものばかりを求め続ける社会に、恐ろしさと生きづらさを感じて、私自身が少

し心の休暇を取りたかったこともありました。


いつもにこにこトメさん

しあわせ者ペロ太

そんなわけで母屋と歌野家を行き来して滞在させてもらい、あっという間で長い二週間、ペロ太の散歩後の帰宅拒否もようやく対処できるようになりました。

歌野家では炭焼きや味噌づくり、マーマレードジャム作り等を体験させてもらい、母屋ではおばあちゃんたちと一緒に時間を過ごして、スタッフの方と料理をしたり、介護について教わったり、普段何気なく生きている生活一つ一つに「意味がある」ということに気づかされる毎日でした。そしてこれが、子どもたちのより良い教育にも地球の目指すべき持続可能性にも影響を与えるヒントとなるということを私は感じました。食べ物に限って言えば、その土地で採れたもの、その季節だからこそ食べられるものを食材にし、スタッフさんそれぞれが得意料理を生かして多様な料理を提供していること、その料理のつくり手が利用者さんに見えること、自分自身で炭焼きをしたものが料理に使われていること、誰かが自分の食事に

大きく関わっていること、これをひろんた村では大いに感じることができます。その「過

程の見える化」によってたった一食の食事に「意味」が現れてきます。つまり、物を買う

とき、ごみを出すとき、それがどれだけの人がかかわってきたのか、自分の知っている人

がどのようにかかわっていたのかを知ると、一瞬立ち止まって考える時間ができます。こ

の一瞬、これが持続可能性なのではないでしょうか。

ひろんた村やこの新上五島にいると「誰かの存在」はとても大きく感じます。海鮮丼に逃げられ続けた私を島の反対のレストランまで連れて行ってくれて天丼までごちそうしてくれたスタッフさん、なまこをさばいて夕食のデザートにつけてくれたスタッフさん、おいしい魚が食べられる朝市に連れてってくれたスタッフさん、そこで列は割り込んでくるもののたくさん話しかけてお土産をくれるおばちゃんたち、耳は聞こえなくても必ず挨拶をしてくれるおばあちゃん、野菜やシイタケのつくり方を丁寧に教えてくれる農園の方々、大好きな甘夏をこんな遠くの長野まで送ってくれる歌野家の皆さん…。言い出したらキリがありませんが、わざわざ相手のための行動を、などと大それたことをしているのではなく、当たり前の小さな思いやりの一つなのです。ひろんたにはそんな思いやりが詰まっており、それぞれの優しさや誰かを思う気持ちが母屋を成り立たせていると感じました。一つのものに価値を見出し、感謝と思いやりを持つこと、これを子どもたちにもぜひ体験して育ってほしい。持続可能な社会を作ることができる子どもたちには必要な環境だと私は強く感じました。


炭出しの手伝い(左が葉音ちゃん)












【味菜自然村より】

味菜自然村ではまだまだ肌寒い日もあり、なかなか春本番って感じにはなりません。ぶーちゃん達は寒い日や夜は一緒に寄り添って寝たり、昼間の暖かい日は離れて寝たりしています。

味菜自然村では普通、生後3ヶ月~4ヶ月くらいで放牧場に連れていきますが、今回の豚は早めの1ヶ月半で放牧された豚です。

1ヶ月半と小さい時に放牧場に行っているので、小さい隙間から脱走を繰り返していたグループです。小さいうちは脱走してもその辺で草を食べたりしているだけでしたが、少しずつ大きくなるにつれてそこらじゅうを掘り返してくれたり大変な子達でした。

でも自由に過ごした子たちでもありました。

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