大正15年生まれの田中トメさんは、10月30日で98歳になりました。好きなものや食べたいものを聞いても「贅沢はダメー」とニコニコして言わないトメさん。息子さんと娘さんが教えてくれた唯一の好物エビフライを、スタッフが張り切って作ってお祝いしました。
その記憶も新しい11月7日の早朝に脳梗塞で倒れ、11日間の入院ののち、夫・円之助さんのもとに旅立ちました。
2年前の円之助さんの看取りはゆっくりで、皆で見送れました。でもトメさんは突然、お別れの暇もなく逝ってしまった。ここで改めて、お別れとお礼を記したいと思います。
人の世話になるのは本意でないながら、合理的で現実的なトメさんは、介助も気持ちよくさせてくれました。それでも円之助さんのお世話や自分のトイレ介助をするスタッフに「ありがとよ」と時に涙も見せたものです。合理的なので順応力も抜群。車椅子の操作の習得は驚くほど早かったし、蜂窩織炎で3週間入院しても、生活動作はあっという間に元通りでした。耳が聞こえなくてもデイサービスの体操は一生懸命真似をして、知っている歌はもちろん知らなくても歌詞を大きな声で読み上げてくれました。
欲も屈託もなく寛大で、何でも目の前の人に分けようとしました。
ご家族から
お菓子が来たら「みんなに」。自分で買ったお菓子も「あんたも食べなさい」。おやつの小さなお菓子を「ひとつあんたに」。お金があれば「わたしの気持ち」。果ては娘さんが送ってくれた靴下も「わたしはあるから」と渡そうとします。
不平不満は一切口にしなかったトメさん。今、立ち止まって考えた時、「はよ死んだらええのになあ、ハッハッハー」とあっけらかんと笑っていた胸中を想像してしまいます。世話になるのが悔しくても、いろんな葛藤があっても、あらゆることを「ありがとう」で通したトメさん。欲を言えばもう少しお世話させてもらって、こちらからのありがとうを伝えたかったです。
円之助さん、トメさんのお世話や看取りも、ご家族の理解とサポートがあってこそでした。母屋に来ても2人で支え合って暮らしたい。トメさんだけになっても、できることはしながら穏やかに。管理された安全より、最期まで本人主体で「暮らす」ことを大事にしたい旨を折々で伝えてくれました。トメさんたちの地元は、同じ島でも言葉が独特な赤尾地区です。息子さんたちが来ると、私たちでも分からない赤尾弁で飾らず温かい家族の時間を過ごされていました。
トメさん、やっと大好きな赤尾に帰って、じいちゃんと仲良くキャラメル食べてるね。たまには母屋にも帰って来てね。本当にありがとう。(歌野杳)
スタッフより一言:
トメさんと言えば笑顔。「なんか仕事ないの?」が懐かしいです。(K)
豆の選別なんかの仕事が捗らなくて困ってます!早く戻ってきてください。(理事長)
豆を見ては、「あぁ、トメさん…」と、お顔が浮かびます。(M)
トメさんが毎日やっていた事、仕草や歌声、笑顔がまだ恋しいです。トメさんと出会えて本当に良かったです。ありがとうございました。(AY)
田中トメさん、いつもニコニコ笑顔、元気をくれてありがとう。(H)
本当に可愛かった。トメさんのように年をとりたいなと思います。お手本です。(O)
いつもニコニコで素敵な笑顔に癒されていました。ありがとうございました。(T)
かわいいばあちゃんトメさん、ありがとう(KY)
半年の短い間でしたが、とても可愛くて、食事の用意をしていると、「何かする事無いねー?」と言うから「ご飯作って」と言うと、「もう歳だからなー」と言って頭をポンと叩いたりしてましたね!大阪で弟子達のご飯を作ったことなど、いろんな話をしてくれました。夜勤の時トメさんの横に寝て良いか聴くと「寝なさい、寝なさい」とニコニコして一緒に寝ましたね。思い出すと愛おしくなり涙が出ます!大好きだったトメさん、ありがとうございます。(TY)
トメさんには食べ物を始め他人への勝手な好き嫌いもなく、「まあ、よろし」と何事も受け入れる大らかさがありました。この前向きな明るさが98歳という長寿の秘訣だったかも。「クヨクヨせず目の前の仕事をすればよか」と教えてくれました。感謝です!(施設長/農園長)
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