梅雨ですね。最近はだいぶ気温も上がりましたが、月初めまではまだ薄寒く、宵の蛍もちょっとかわいそうな気がしていました。それでも川のほとりでは静かな光がきらめいて、幻想的なひとときを作ってくれました。
そんな涼しさにより、田んぼに育っていた小麦も5月末尾にやっと収穫です。それから天気を見ながら田起こしと代かき、畦塗りを強行軍で行い、肉のカットの翌日19日に田植えをしました。
日どりを決めた時は天気予報では雨でしたが、当日はやや曇り。田植えにはぴったりです。元気な子ども達を含めて20名近くであっという間に植え終わりました。
子どもたちの泥んこ合戦も見事なもの、準備の疲れも吹き飛ばしてくれる豪快さでした。川の水できれいになったらお昼です。前日に仕込んだ柿の葉寿司とおにぎり。ひろんた豚のヒレ肉、差し入れのアジもフライにし、農園隊長の切り干し大根を煮ました。皿うどんや持ち寄りおやつも加わった盛大なお昼で、さあ今年も米づくりがスタートです。(歌野杳)
【新スタッフ紹介】
はじめまして、この4月からひろんた村母屋のスタッフになった、作業療法士の松崎美和です。出身は長崎市です。
「美和さんが好きそうな番組があるから観てみて!」と友人に進められたのが、ひろんた村母屋を知るきっかけでした。そして、歌野家に宿泊し、その豊かさに、わくわくしました。薪で山水で沸かしたお風呂、七輪で焼く自家製パン、自分のところで育てた豚のハム。さらに、それが仙人のような自給暮らしでもなく、適当さがよい塩梅で。
当時、どうにか現代社会と折り合いをつけながら、循環を取り入れたくらしをしたいと移住先を探していた私は、前のめり気味にひろんた村母屋で働くことを決めていました。
実際に働き始めて、ひろんた村母屋はやはり、一般的な施設と比較すると、二つの点で変わっているように見えます。
一つ目は管理の度合いが低く、ゆるやかな家族のような所です。それは小さいからこそ、可能なのかもしれません。入居者の方々は、看取りを覚悟するような段階の方から、畑仕事を楽しみ、ご自分で外出されるような方々まで様々です。それぞれの時を自由に過ごします。私の仕事は、個々人の段階に応じて、そのお手伝いをさせていただくこと。また、誰にでも訪れる「死」をも、くらしの一部として、自然に迎えられる。そんな場があってもいいのではないかと思っています。
二つ目は自然に近い暮らしがそばにあること。その時折の手仕事で利用者の方だけでなく、スタッフも季節を感じられます。カエルや鳥の声を聴きながら同僚が作ってくれたご飯を食べるのは幸せのひと時です。また、介護の仕事だけではなく、動物の世話、加工品作りなど幅広く学べ、自身の自給力も上げられるのはとても魅力的です。
私はこのような小さな場が日本中に点在すると、社会は本来の豊かさを取り戻せるのではないかと思っています。生死と自然が身近にあるくらしが、どこそこに。それ故、勝手にひろんた村広報活動に勤しむ所存です。
一方で、(私は田舎暮らし推し、でも)皆が畑を耕したいわけではないことや、そういう状況にないことも想像できます。そこは、どんな暮らしをする人も取り残されないように、政治の出番だと思います。生まれた時と死ぬ間際は誰かの手が必要ですし、がんばっていなくても、生きているだけで、あまねく人々が認められる、そんな社会を作っていきたいものです。
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