誰も彼もが「もう!?」と驚く年末です。一年の早さに驚くのは年のせいか、世の常か、それとも現代社会の現象の一つでしょうか。
早いといえば、ひろんた村母屋もオープンから11月で丸5年です。母屋歴3年のHさんが発起人となり、さらに多大な協力をいただいて12月5日に盛大なパーティを開きました。
忙しい運営側を気遣ってとってくれたお寿司やオードブル、スタッフやボランティアの方が持ち寄ってくれた手作りデザートが並んで大宴会です。お寿司大好きな徹さんは大喜び、節子さんは施設長の芋団子を心ゆくまで堪能。トメさんの食べっぷりも周りが心配するほど見事なもので、みんな大満足でした。
それと前後して、秋の収穫・農産加工の追い込みとともに年越し準備の仕事が進んでいます。女性たちで仕込んだ芋焼酎は先日、蒸留しました。芋が小さくてかんころは諦めていたのですが、理事の山村さんが大きな芋を持って現れました。喜んで母屋の女性たちと一緒に皮を剥いて茹で上げたのは良いが、翌々日から雨風と高温にみまわれカビが忍び寄る事態に。慌てて取り込み屋内で乾燥しながら1枚ずつカビを切り取りましたが、気温が下がっても晴れないので急遽、かんころ餅作りへ。薄曇りの寒さの中、機械をなだめスカしつつ、夜勤明けスタッフを含む5人1日がかりでなんとか終了。初夏の芋植えから餅作り日の必死の形相まで、ひろんたの情景がぎっしり詰まった郷土菓子ができました。
話はかんころを茹でた午後に遡りますが、お正月用に鶏を4羽絞めました。中雛を導入したので家がなくなり野を走り回っていた最古参のおばあちゃん鶏です。野生化も進んでいたか、捕獲係の子どもたちもけっこう苦労しました。吊るして絞めて捌いて、ガラは七輪でゆっくり炊いて黄金のスープに。お雑煮のおいしい出汁になります。硬い肉も工夫してありがたくいただきます。
加工部も今年も色々ありました。母屋の施設長が「むぎんこ広場」として始めた豚肉加工も創業30余年になります。近年は猛暑などの影響でこれまでの慣例が通らないこともあり、初心に戻ることの大切さを噛み締めました。養豚も加工も人材不足にハラハラしながらも(母屋もです。スタッフ募集中です!)地道に取り組んでいこうと思います。
さて今回は、11月に「自給暮らしに興味があります」と流星のように現れ、大豆の脱穀の主戦力となった桑水流(くわづる)さんに寄稿いただきました。発った翌日に書いてくれたフレッシュな感想です。
【ひろんた村体験】
初めまして、自給自足体験で1泊2日ひろんた村にお世話になりました桑水流と申します。ひろんた村を知ったきっかけは大学時代の友人からfacebookを紹介してもらった事から始まりました。ひろんた村については私自身の興味関心が移り行く中、目の片隅で認知していた程度でした。
そんな中、今回上五島に訪れる機会が巡り、これはチャンスと思い飛び込んでみました。事前情報はあえて取り入れず、すべて自分の感覚に委ねてみようそんな感じでした。
結論から申しますと、「良い意味での裏切り」です。今回の目的は自給自足を体験すると言う目的であったにも関わらず、ひろんた村のある立地、入所者さん達のここを選んだ理由、生き物と食べ物の境界線、自給自足という生活のリアル、ただ畑と山と生き物が暮らすひろんた村に1泊2日過ごしただけなのに、とてつもない情報量に頭がフリーズしてしまいました。私にとっての非日常が目の前で行われており、本や動画で何度も見た自給自足の現実を見ると予想を圧倒的に超える情報量に裏切られました。
その中でも特に私が印象的だった出来事が、豚の餌やりです。人間の食べ残り物や、食べない部分を全てミックスして豚に与える。それを美味しそうに食べ、肥え、加工され再び人間の口に入る。私の好きな考え方に窒素循環というものがあります。簡単にいうと多くの有機物は生物を介し循環し続けるという高校理科生物で学ぶ分野です。
その一部の循環が目の前で行われており、その中での豚の立ち位置が分からなくなりました。人が食べたくないものを食べれる形に変える生き物である豚。彼らは人に食べられる為に生まれてきた運命を考えると、純粋に命を頂いているという考えには結びつきませんでした。
実際に豚の顔を見て、鳴き声を聞いて、空気感を感じた事でこれまでの考え方を改めるきっかけになった出来事でした。まだ頭の整理はできていませんが、大変貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
Comments